最愛のパートナー、希が亡くなってもう一週間が経過する。

ちょっと前まで、ご飯も毎日一緒に食べていた。そん波路かな人が急にいなくなると、正直かなりつらい。

でも、だからこそ、これから生きていく私は、これまでのことも振り返って見ることにしました。

 

希との出会い、

それは、自然療法の健康学園という、イベントでした。

そこは、難病を自然療法医で乗り切った人の武勇伝の語りもあり、本音を言うと、かなり疲れるイベントです。

ただ、一年を振り返るときに、印象が深い合宿だったので、何故か毎年参加していました。(2022年現在、コロナ禍では中止が続いています。)

健康な食事をしていても、病気になる人と元気な人がいる。同じものを食べて過ごしているのになぜなのか、という話がありました。

食事そのものに集中していない、どれだけ多くの犠牲があってのことか考えない、テレビなど見ながら、本を読みながら、という「ながら」食事の弊害についての話もありました。

要は、食べ方の問題があるということです。

食事の前に、

「いただきます、」という。

これは、「命をいただきます」という意味です。 野菜一つにとっても、栽培から収穫、食卓に並ぶまでの過程で、実は多くの生き物も殺されています。

畑を耕すときに、ミミズなどの土の中の生き物を死に追いやります。収穫までにてんとう虫なども、踏み潰している可能性はかなり高いです。

そして、野菜そのものの命、調理し、食卓に上がるまで、どれだけ多くの過程を踏んでいるのか、

想像してみる。 そうすると「いただきます」の意味がどれだけ深いのか、わかると思います。

 

びわの葉温灸、こんにゃく湿布など、ノウハウはあるものの、根本的な物事の考え方が大切です、というようなことを学ぶイベントでした。

 

このイベントの帰りに、帰りの方面が同じ、ということで、

希が声をかけてくれたのが、出会いのきっかけでした。

途中まで送ってくれたお礼に、高速代と、帰ってから野菜や手作りの味噌、梅干しなどを宅配でおくりました。

 

確か、一ヶ月くらい立ってから、宅配で送ったと思います。

どうやら、希がその時に感動したらしく、

お礼に電話がかかって来たのを思い出します。

 

帰りの車のなかでも、それほど深く会話はしていませんでした。お礼の電話のときに、希はガンであること、

病院で余命宣告のようなことも聞いたとしりました。

 

色々と話をきいていると、結構な時間が経過し、たまにメッセージの交換するくらいの仲になりました。

 

何ヶ月語った後、京都で合う約束をしました。

 

京都駅で出会った、最初の印象は、細くて、元気がなく、でも、何か良い印象でした。

 

喫茶店で話をしてみると、以外に楽しく、ごく普通の健康な女性だなぁ、と思いました。

 

京都で見た新幹線で「鹿児島行き」をみて、「行ってみたいなぁ。」と冗談混じりで思わず言いました。

すると、彼女の表情があかるくなり、お互いの目標をたてました。

「元気になって鹿児島に行こう!!!」

 

今思えば、なんとしても鹿児島に連れて行ってあげておけばよかった。

 

出会いのきっかけは些細なものでしたが、お互いの波長があった感じがしました。

 

その後、兵庫と京都という、ちょっと遠距離の恋愛が始まりました。

ガンのため、。介護の仕事も日に日に短い時間で働いていることも聞きました。

 

それでも、二人でいるときは、至って健康に見え、とてもガンに侵されているなんて気がしません。

私は、野菜等の食べ物、溝、梅干し等の保存食もは、自分でつくる生活をしています。

希は、自然な生活、田舎くらしに理解もある人でした。

時々、私のところに遊びに来て、共に食事したり、話をして、楽しい交流がはじまりました。