以前にも書いた記憶があるけど、

何かきつい体験をしたとする。時間が経てば、解決(忘れる)していくと一般的には言われている。

果たしてそうだろうか。 強烈な記憶としてずっと残るものだと思う。

ただ、その程度が個人によって違う。

忘れたくないのか、あるいは忘れて楽に過ごしたい、って心のどこかで思っているところは

あるのかもしれない。

 

ただ、私が思うのは、傷があって、怪我をした状態でもそのまま生きていくしかない。

なにも完全に治療し終わった、完治というのは、おそらくない。

傷の程度が違うだけ。

とはいっても、後悔ばかりして、後悔しすぎるのもきっとよくはない。

それよりも、何か辛い経験したら、乗り越えるとか、立ち直る、というのではなく、

そのままとにかく生きる。

どんなことでも、何か目標でもできたら、楽かもしれない。

ただ、これからどう生きていくか、何ができるだろうか、

など後悔でも反省でもなく、何かできること、どんな些細なことでもできることを

積み上げていく。

迷っても、焦っても、別にいいんじゃないか、って思う。

傷がついたままで何が悪いか。

無理に直すのが無理だと思ったら、そのまま。

一部の機能が故障した、デジタルカメラのように考えたらいい。

オートフォーカスが壊れても、自分でピントを調整すれば、

写真は撮れる。考えてみれば、カメラは綺麗な写真が撮れたら

十分です。 人もきっと似たような面があるだろう。ただそれだけのこと。

 

以前、塗り物の箱のマークが気になって調べたら、昭和初期の宗教団体の紋章だとわかった。

そこの歴史を見ていると、人は神様から体を与えられた。 世のために自らを道具として

生きていくように努めよ、みたいな内容だった。

 

道具、なるほど、って思った。

人それぞれ、何かできる役割、あるいは鍛えることでできるようなことが

きっとある。 しかも、人それぞれ、違う種類の道具(役割)ということだろう。

借り物、というのも納得できる。

というのは、自分が生まれたくて生まれたわけではない。もしかしたら、記憶が消えているだけかもしれないが、少なくとも親を選ぶ、国を選ぶ、といったことはない。

先祖代々、親のおかげだろう。 激動の時代を生き延びてきたからこそある

自分の今の命。 なんて考えれば、結構貴重だ。

自分がいるのは、まさに奇跡ともいえるだろう。

 

借り物というからには、返すときがくる。その返す時とは、

死だろう。

当たり前だが、なかなか死を意識していきることはない。

 

重く考えるより、ちょっと力をぬく、あるいは、辛いことだけでなく、

楽しいことも思い出そう。

 

無理はしないが、どう生きていくか、ということは

よく考えてしまう。どう生きる、どういう気持ちでこれから生きるか、後悔があるなら、

どう生かすか。

なんだかやること多くて、くらい気持ちになっている暇はない、って思う。

資格試験などの、何か目的でもあれば少しは楽かもしれない。

たぶんそう思うのは、目標に向かって進むときは、気持ちが前を向く。

過去のことを思い巡らす必要がないか、一時的に考えることがないから、

目標があるといい、って思うんだろう。

 

ただ、そうは言っても、具体的な目標があった方が普通に良い。

考えてもすぐに出てこないが、思いつくままに書き出してみようと思う。