猫の存在

希が遊びに来るようになる以前から、野良猫が家に来ていました。

今住んでいる家は、昭和の時代に建てられた、古い雰囲気のある平屋です。

一人暮らしていると、野良猫がとてもかわいらしく見えます。

 

本当は良くないのだけれども、猫にご飯をあげていました。

はじめは警戒していた猫も、すぐになつきました。

 

猫がいる生活、今思えば、猫のおかげで私の笑顔も増えたと思います。

 

遊びに来た希も、動物が好きでした。

希医が京都に帰った後も、よく猫についての話題があがりました。

ガンを患っていると、怖さもあったと思います。特に一人の時は心細いのでしょう。

でも猫は無条件に笑わせてくれ、気持ちが和みます。

 

色々と手を焼く事が多いですが、

猫がいるおかげで、笑えた日はかなり多かったのは事実です。

 

私は彼女がガンを患っているとは聞いたけども、 その後は普通に接していました。

正直って、ガンということを忘れてさえいました。

今思えば、偉そうな口調で接し、.彼女の心に傷つけてしまったこともあります。

 

しかし、猫がいると、生活の柔らかいクッションにでもなるのか、

穏やかで、楽し笑顔があふれる日々を思い出します。

 

何かあっても、すぐに仲直りする、

また偉そうにお互いが言い合う、こんな日々は多かった。

 

猫がいるから、共通の話題で盛り上がる、

猫が馬鹿なことをして、楽しませてくれるから、

笑顔がある、まさに猫のおかげで、楽しく過ごせました。

 

後に、住み慣れた京都をでて、私の家に引っ越してくるのですが、

猫の存在は大きかったと思います。(猫が板から来たとまでは言いませんが、本人が自覚していないだけかもしれません。

それだけ、動物は人の感情に影響するということです。

 

その時は猫を飼っているわけではないのですが、

動物には人の心を癒やす力があるのは事実です。

 

スマフォでとった猫の写真、何度も希に送りました。

猫が家の中に入ってきたこと、

魚をたべられてしまったこと、

些細なことですが、猫と希の楽しい思い出はたくさんあります。

 

以前は、猫をたくさん飼っている人を気持ち悪がったりしたこともあります。

しかし、今はそのような考えは一切ありません。

猫を家で上手く飼っているひとは、尊敬するぐらいです。

 

希がいなくなってからも、猫の世話をしていかないといけません。

猫たちは、希がいなくなっても、相変わらず元気にご飯をおねだりしてきます。

 

毎日嫌でも猫の世話をします。

猫用の雑務をしているときは、無心になれている気がします。